「幸村様っ!」
 隣を駆け抜けた風は俺の手を振り解き、小さな影は俺の元を飛び立って行った。



 長い睫毛が震え、ゆっくりと眸が開かれる。
「お…さ…?」
…」
 長らく目を覚まさなかった不安から、知らず内に詰まった息を吐く。
「あ、たし…?」
「随分と無茶したもんだよ…」
 そう告げると、大きな瞳が見開かれ、突然起き上がる小さな体。
「っぅ…」
「まだ動くなって!随分な傷なんだから」
 左肩から腹部まで大きく斬りつけられた刀傷を見た時には、正直駄目かと思った。
 傷が浅かったのが幸いした訳だが…まだ動ける状態ではない。
「長…っ、幸村様は?!あたしっ…!」
 抑える為に伸ばした手にを強く掴まれ、それが小さく震えている事に気が付く。
「落ち着けって。大丈夫、旦那は無事だ…はちゃんと旦那を護れたよ」
 その言葉に爪を立てる程力んでいた手から、力が抜ける。
「そっか…良かったぁ…」
 ほぅと安堵の息を吐く彼女に、俺は巧く笑えただろうか。



 その手が、その笑顔が、俺に向けられない事が痛い。
 彼女の手は、制止を振り切ってまで、彼へと伸ばされた。
 彼女の笑顔は、彼の生死を確かめて、零された。

 …俺様も随分と女々しくなったもんだ。

 小さく頭を振って、思考を正す。
「待ってな、今旦那呼んでくるから」
「えっ、い、良いです!あたし、こんな恰好だし…っ、それにこんな所に幸村様を…」
「旦那のご命令なの。が目覚めたら呼べってね」
 ぽんと小さく頭を撫でて部屋を出ると、廊下に見慣れた背中が見えた。
「旦那」
 余程心配だったのだろうか。血等は洗い流されているが、未だ戦明けの姿のままで待っていたなんて。
「佐助…は…は、如何なのだ?」
「今目を覚ましたよ。随分と旦那の事心配してたし、逢ってやってよ」
 そう告げると同時に、横をすり抜ける姿に俺は苦笑した。



 お互いが呼応してるんだ、俺様の出る幕じゃ無いよね。
 ちらりと肩越しに二人を見遣れば、嬉しそうに頬を染めて笑う姿。
 あの温もりと眩しさは、影の己には無縁な物だと言い聞かせ、世界を閉じた。



 ざぁ、と強い風が頬を撫で、髪を撫で、舞い上がる。
 己の気持ちを吸い上げる様に、昇華させる様に。

 温もりを欠き、冷えていく指先を握り締めて唯願う。


嗚呼、この爪痕が一生消えなければ良いのに。