ぼんやりとした視界の端で、ちらちらと赤が滲んでいた。
「大丈夫?だから無理するんじゃないよって言ったのに…」
突如聴こえた声に素早く体を起こすと、全身を襲う痛みに思わず膝が折れる。
「俺様は敵じゃないよ」
霞む目で声の主を確認すると、ほぅっと安堵の息が漏れた。
「警戒を怠らないのは良い事だけどね…自分の体の状態、ちゃんと理解しなよ」
低い声が近付き、痛みの途切れぬ体をそっと横たえられる。
「…」
「豊臣なら討ち取ったよ。お前、覚えてないの?」
問われて頷けば、呆れた様な溜息で返されて。冷たい布が目に当てられる。
「暫く動くなよ。忍びの薬でも追いつかない位の傷負ってんだから」
言われて漸く、先程から滲んでいた赤が自分の血だと理解した。
やんわりと髪を撫でられ、それが何故か心地好くて眼を閉じる。
傷を負い、意識を失くした己を助けてくれた…。
本来ならば敵同士と言う立場なのに…傷さえ負わなければ………殺す心算でいたのに。
「お前さ、本当なら風魔の掟に従って俺様とかすがを殺す心算だったろ?」
考えを見透かされたかの様な言葉に、驚いた。そう…本来ならば姿を見られたからには、殺すしかない。だけど…。
「でも…お前はいっつも俺様の事、殺してくれないよね」
幾度も相まみえて来たのに、何故かこの男だけは殺せなかった。
「力量なら悔しいけど、お前の方が遥かに上だ。なのに…」
温くなった布を外され、眼を覗き込んで、ねぇ、なんで?と問う男は言い表す事の出来ない程の情念をその眼に宿していた。
一流の忍びである彼が、感情を丸出しにする事に息を呑む。それに「殺してくれない」とはどう言う事なのだろう?
「こた」
幼い頃に出逢った時のままの呼び方に、ぼんやりと己の中の真実が形作られていく。
「俺様はね…死ぬならお前に殺されたいの。真田の旦那には悪いけどね。俺様は、仕事で、しかも自分が認めた奴に殺されたいんだよ」
だから今回は偶然にもお前と任務でかち合って、そのまま死ねるとも思ったのに、と続けた彼は暗い笑みを零した。
死にたいのか、と尋ねれば彼はきっと首を振るだろう。殺されたいのか、と尋ねれば彼はきっと頷くだろう。
解っている。優秀な忍びだが、それ以上に優しいのだ。
忍びの過酷な現実に、優しい心がじわりじわりと侵されて、毒された所が狂気に変わっていく。そしてそれを止める事も出来ず、見て見ぬフリも出来ず。
狂気に全てを侵される前に、彼は死を望んでいる。しかも何を血迷ったのか、己の手に依って。
「お前は風魔の掟に従えば良い」
そう言って彼は小さく微笑んだ。彼がいつも己の前ではどこか無防備な理由が、漸く知れた。
一体この男はいつから死にたがっていたのだろう。
冷たい感触にはっと視線を動かすと、己の手に握らせるのは鈍い光。
「こた、俺達、もうお別れだ」
「…っ」
「泣かないでよ。俺だって嫌なんだから」
縋る手を優しく包み、頭を撫でる手は、己のそれよりほんの少し大きいだけで。少し、冷たかった。
「俺は甲賀に、お前は風魔に。俺達の求められた場所に行くだけ。ここで、死ぬわけにはいかないでしょ?」
優しくかけられる声は、宥めるではなく、言い聞かせる様だった。
ぎゅっと握られた手に、違和感を感じて見れば、鈍く光る苦無。驚いて顔を上げれば、優しく微笑む口元とは対称に、厳しい目とぶつかる。
「生き延びるんだよ。例え誰が敵になろうと」
そう言ってもう一度優しく頭を撫でると、その冷たい手は離れた。
再び出逢った時、二人は敵だった。
再び握らされた苦無は、今度を己の身を護る為では無く、彼の命を奪う為。
「迷う必要なんて、無いんだよ。お前は生き延びる為に俺様を殺すんだ」
そう言うと苦無を握らせた手を、自分の胸元へと引き寄せる。
ぼんやりとそれを見ていると、彼の眼にふっと翳が落ちる。
「………生き延びるんだよ。例え誰が敵になろうと」
驚きに眼を見開いて、身を固まらせた彼に笑った。
本当はまだ死ねない癖に。
まだ主の為に生きる事を、完全に捨てた訳じゃない癖に。
彼の手を取ると、案外簡単に解けた。手に残った苦無を差し出すと、ぼんやりと見つめる瞳。
「俺様に、まだ生きろと言うの?」
どこか泣きそうに笑って、彼は苦無を受け取った。それで良いのだ。
痛む腕を伸ばし、色鮮やかな髪を撫でると、彼は驚いた後に照れ臭そうに笑った。
「…そうだね…生き延びるよ…」
そう、それで良い。
貴方が狂気に身を喰らい尽くされた時は殺してあげる
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捏造幼少期。
小太郎は佐助の事を兄の様に慕っていると良いな。
エゴだとしても、佐助が完全に狂うまでは生きてて欲しい、みたいな。
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