「あと、どれ位で着く?」
「駿河を出たのが三日前だからな…今日の夜、もしくは明日早朝には着くだろ」
「この船、早いんだな」
 そうは言ったものの。元就が戦っていると考えれば、元親からしたら一日も一刻も早く着いて欲しい所だろう。
 現にこの三日間、船員達は交代で働き詰めだ。部下思いの元親にはあるまじき行為だろう。
 それでもやはり日頃の行いとでも言うべきか。元親を慕っている部下達も、元親の想いを解っていて誰一人として愚痴の一つも零さない。
 横で遠くを見ている元親にはありありと焦りの色が見えて、俺は思わず元親の腕に触れた。
「ん?どうした?」
「あんま、思い詰めるなよ。焦ったってどうしようもないんだから。それに、元就は智略に長けてんだろ?」
 とは言うものの。俺は知ってる…豊臣軍にも策士が居る事を。
「そう…だな。あいつなら攻めるならまだしも、食い止める位なら…」
 少しだけ元親に笑顔が戻って、俺も笑顔を返して頷いた。



 寝とけと言われて部屋に戻ったは良いが、波の音が耳について、なかなか寝付けなくて扉を開ける。
 波の音に混じって、軋む床を進むと甲板の上に人影が見えた。
「…大将が休まなくてどーすんだよ」
 呆れながらも横に並ぶと、元親は目元だけ苦笑を形作り、またすぐに暗い海に視線を戻す。
「もうちっとで着くかもしれねぇからよ。それに…寝ずに頑張ってくれてる奴も居るんだ。俺だけ寝てられねぇよ」
「気持ちは解るけどさ、それで本来の力が発揮出来なかったら意味ないんじゃない?」
 ちょっと生意気だったかな、と元親の顔色を窺うと、一瞬ぽかんとして、すぐに笑った。
「その通りだが、俺はそこまでヤワじゃねぇよ」
 ま、確かに。戦だって何遍もやってるだろうし、俺なんかが心配する様な事じゃないか。
「まぁ、でも…ありがとな」
 不意に元親から礼を言われて、一瞬だけドキっとした。あくまでも一瞬だけだけどな!…くそ、ここんとこ素直な奴と触れ合ってなかったからか…何か慣れないな…。
「アニキ!安芸だ!!!」
 不意に闇夜を切り裂いた声に、元親の顔がグっと引き締まる。勝気な目が闇を見据えて、口元を吊り上げる。
「何とか間に合ったみてぇだな。よし、野郎共!気合入れて行きやがれ!!」
 元親の声に、船全体が震えるんじゃないかって位、元気な声が応える。やっぱ海の男は活気があって良いな!俺も負けてらんないや。
 相手はあの豊臣軍。力も、策も兼ね備えた強敵だ。
「あぁ、そうだ。すっかり渡すのを忘れてた」
 俺に向き直った元親は、その大きな手で俺の手を取る。掌に置かれた物はチリリと小さく鈴の音を鳴らす。
「あ、これ…」
「武器になったら困るってんで、お前をかっ攫った奴が取り上げたらしい。悪ぃな」
「返してくれるんだし、もう良いって」
 笑って簪を髪に挿す。佐助がくれた簪…か。そう言えば佐助は、どうしてるんだろう。俺が攫われて…探して、くれているだろうか。
 甲斐には無い潮の匂いに随分遠くに来た事を感じる。



 水平線が金色の光を放ち始めた。
 薄ぼんやりと明るくなってきた海に、胸がざわつく。不安や恐れ、それからやる気が綯い交ぜになってどきどきしてる。
 初めての戦は名前も知らない相手だった。二度目の戦は豊臣と言う強大な相手。
 刀を持ち、戦う事はないだろうけど…俺の戦いは正に生死をかけた戦いだ。気を引き締めていかないと。
 前方に複数の篝火が見え、港の影が浮き出される。船内が慌ただしくなり、これから入港するのだと元親が告げた。
「おい、のあれ、持って来てくれねぇか」
 元親が近くの部下に声をかけると、威勢の良い返事を返してばたばたと駆けて行く。
 何の事かと思っていれば、すぐに戻って来て俺へと布に包まれた物を差し出す。
「?」
 解いてみればそこには竜の爪。
「あ…」
「使わせる様な事にはさせねぇ…けど、一応持っとけ」
 そう言って元親はぐっと顎を引いた。深く呼吸をすると同時に威勢の良い声が轟く。
「野郎共!入港だ!!」